浮気千体地蔵尊の歴史 本文へジャンプ
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 千体地蔵のおこり  お堂の建立および再建の経緯  小さな地蔵さん(千体地蔵)の秘密
 お祀りしている地蔵さん状況  平成10年再建時に取り組んだこと  提灯掛け制作・設置工事
 前庭整備事業 浮気千体地蔵さんのお話1 Q&A

1 浮気千体地蔵菩薩のおこり
江戸時代 元禄(げんろく)辛(かのと)未(ひつじ)年 西暦1691年 元禄4年、今から325年前(平成28年よりみて)、山本三右衛門さんが子どもの死を弔うため、お坊さんの「心聞法師」(仏師)に頼んで1体の地蔵菩薩を彫ってもらうよう頼んだのでした。
 その幼子は法名「釈教圓童子(しゃくきょうえんどうじ)」といい、亡くした我が子があの世でも元気に過ごしてほしいと願い供養のため作ったようです。施主の願いは、我が子だけでなく多くの子どもたちの幸せを願って作られたと思われます。
 また、山本さんの願いは、我が子に関係のある人(家族や親戚、友達など)や、関係がなくてもどの子どもさんも元気に健康で怪我がないように育ってほしいという願いがあるのだと思います。それは、書き残された紙のなかに「釈教圓童子乃至有縁無縁」という一文があります。
 この紙は平成十年にお堂の再建にあわせて千体地蔵本尊のお洗濯の際に、「本尊のお腹の中に書類があった」と発見がありました。書き物として上記のことを裏付ける内容でした。   
 ※お洗濯依頼先:西井氏
 その書き物は右記のとおり   トップへ
 

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◆浮気の地にお堂が建立されたの江戸時代元禄乙亥(おつがい)八年 西暦1695年、本尊が作られた4年後にあたります。この事実については平成28年6月まで不明なことでしたが、別件でお堂内資料を調べている際に偶然真っ黒な木札に気を止め再発見したものでお堂が初めて浮気の地に建立された事実をはっきりすることができました。
 建立の施主は当時、吉身村に在をなしていた山本三右衛門さんで地蔵菩薩本尊の施主と同一人物でした。なぜ吉身の人が浮気の地(物部村の浮気)に建立し安置したかは今も定かではありません。
 もう一点、定かでないのは、4年間の空白です。推論ですが、地蔵本尊が完成した年にお堂は別の地に安置されていたが、「水害で地蔵さんが流れてきた」という言い伝えを重視すると、「この4年間に水害があり、もっと上流のどこかに安置されていた地蔵さんが浮気の地に流れ着き、それを聞きつけた施主の山本三右衛門さんが改めてこの浮気の地にお堂を再度建立したのではないかということが考えられます。あくまで「流れてきた」という言い伝えを尊重した場合の推論です。もし、水害で流れてきたという事実がなければ最初からこの地にお堂を建て地蔵さんを祀ったということになります。今後の調査としてはこの4年間に水害の記録がないかを調べていく中で明らかにできればと考えています。
◆西暦1695年この地にお堂を建立後、九十年後の1782年(天明2年寅年3月吉日)に瓦の葺き替えをしています。
◆明治22年 1889年4月 瓦屋の辻村 田中幸七氏並びに三上村出新立(現在でいう浮気に近い新立ではない)の大工(氏名分からず)のもと世話方5軒で再建しています。この時点でかかわっている大工さんや瓦屋さんが浮気村より上流の地の人に頼んでいる事を推測すると、(洪水説の上流に仕事をもっている人に頼んでいることをみると)当初のお堂が上流にあったのではないかと考えられる面もある。
◆次に再建したのは明治22年から64年後(昭和28年癸巳(みずのと み)年)1953年に大工の野洲郡守山町乙守山 中道平六氏 西野市太郎氏 瓦屋の浮気 大西度三氏により、施主 世話方6軒の者で建て替えられている。
◆最近の建て替えは平成10年4月に世話方7軒で建立している。
 なお、山本三右衛門さんの関わりは第1期の建立でその後の建て替えは浮気村の者が行っている。      トップへ
       
     平成9年までのお堂          平成10年新築お堂
              
 平成10年    昭和28年     明治22年      江戸元禄8年
                      トップへ

 次に記す点も明かではなく今後の調査を必要としますが、今のお堂の中の状態(本尊がおられ、その横に小さな千体地蔵さんが並んでおられる)というのは当初からその姿で安置されていたとは考えにくく、どちらかというと本尊の中にあった書き物と一緒に小さな地蔵(千体地蔵の元となる地蔵さん)が数体入っておられ、ずっと過去の修理の際などにこの小さな地蔵さんが発見され、そのお地蔵さんにあやかって、信仰のあった地域の方々が、(現代の提灯を上げさせてもらう習わしと同様に)小さな地蔵さんをあげられ本尊の横にお並べしたのではないかと考える方が自然のようです。なぜなら過去の他地域の調査で仏像の体内に小さな仏さんを一緒に入れて彫り上げることがよくあるとのことです。(鑑定いただいた、元守山市教育委員会文化財保護課:山崎秀二さんの考え)
 しかも、もし流れてきたというのであれば逗子に入った本尊とお腹の中の小さな地蔵さん数体であろうということです。たとえ流れていなくても、本尊に入れられる数は限りがあります。そのことを裏付ける根拠として、800体余りの地蔵さんをよく見ると新しい千体地蔵さんがほとんどで中に色落ちした白っぽい古い地蔵さんが数体おられます。その地蔵さんこそがそれにあたるのではないかということです。 
  
  
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ご本尊様の身の丈   約86cm
小さな千体地蔵さん  約12cm〜13cm   トップへ

 
   
   
  解   体
地蔵さんのお洗濯
新 築   入 仏 
   
   
   
 入仏式後のとりくみ            トップへ
   
   
   
   
   
タイムカプセルとして写経したものや思い出となるものを奉納した。
 また、本尊の体内にあった書き物(施主および作者の名を記したもの)も一緒に納めています。
  担当世話役    代表 :佐野惣兵衛 会計:佐野佐次兵衛
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   平成14年3月8日〜工事
 金属加工 久原氏
 溝掘協力 上田氏

 担当世話役 佐野惣兵衛
       北条源左衛門
       佐野兼晴
 平成11年と平成14年の当番
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 平成28年4月12日(火)8:30
 工事業者:株式会社古川建設
平成25年8月設計図面協議
         業者選定見積
平成28年1月再見積 業者選定
前庭整備完成4月18日(月)
完成披露4月19日(火)15時
整備事業推進委員 
          北条源左衛門
          佐野 兼晴
          佐野  誠
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内容編集 平成28年度当番  佐野兼晴・佐野誠     トップへ